エッセイ(2005年7月18日)
「小学校での英語教育の教科化にわたしは反対です。」    
現在、小学校では「総合学習」の一環として英会話教育がおこなわれていることがおおい。しかし、文部科学省は「英会話」を小学校の正式科目として開始することを考えているようだ。私はこれには反対である。
 たしかにアンケート調査の結果では、日本人の多くは「せめて自分の子供は英語ぺらぺらになってほしい」という気持ちから、小学校での英会話教育に賛成である。文部科学省もこの「国民の要望」を後ろ盾として、英会話教育の充実を図ろうとしている。文部科学省はすでに2003年に「英語が使える日本人の育成のための構想と行動計画」を出して、とにかく日本人を英語が使える国民に仕立てようとしている。
 この文部科学省の「英語信仰」ぶりは、たどってみると日本政府のアメリカ追随外交に突き当たる。日本政府がアメリカの飼い犬になっている姿勢が、日本の教育での「英語信仰」につながっているのである。つまり、小学校での英会話教育も日本のアメリカナイゼーション現象の一つである。もう少し強い表現で言うと、日本がアメリカの言語文化植民地に本格的になってきているということである。
 こんな中で、文部科学省の動きに反対の意思を表明し行動している勇気ある言語学者がいる。慶応大学言語文化研究所の大津由紀雄教授である。先日「教科化」反対の署名をお願いしますと私のところに大津先生から手紙が来たので、すぐに署名した。学者を中心に30名ほど署名を集めたようだ。近々文部科学省にその署名を持っていくようである。文部科学省が聞く耳を持っていればよいが。
 私が反対をするのは、日本語継承の次世代である子供たちに英語を教えることは、日本語の衰退につながると考えるからである。英語はいまや世界標準語になり、各国の言語はいまや地域の方言になりつつある。英語の重要度が増すにつれ、英語への乗り換えも今後加速するであろう。
 こういうことを考慮すると、現在英会話を学ぶ子供がすぐに日本語を捨てなくとも、その子供や孫はどうであろうか。サバイバルのためにはより重要な英語に傾き、日本語を軽視することは十分に考えられる。
 子供は日本の未来であるし、日本語の未来でもある。
 日本語を未来に伝承するためには、まずは日本人への日本語教育を強化することを優先するべきである。
 国際化だ、グローバル化だといって、英語になだれ込むような教育はいかがなものであろう。それこそ西洋文化への依存心の表れではないだろうか。
 グローバル化の時代だからこそ、自文化へ、自国語へ立ち返る事が大事ではないだろうか。