英語でまくしたてるFMラジオのディスクジョッキー、アメリカの番組だらけの衛星放送、商店や商品にも英語名がつけられ、
そして会社名も横文字化がすすみ、最近はお役所も英語を好んで使っている。このいわば「英語病」とも呼べる英語への
過熱ぶりは最近著しく、英語を使わなくともよい時でさえ使うという言語的混乱が起こっている。
この「英語病」を生み出している元凶は、「英語は国際語だから、できて当然、使って当然」という「英語帝国主義イデオロギー」
であり、日本人はそれぞれにただ単に同調しているのである。確かに英語の国際語的地位は認めるし、英語教育の必要性
を否定はしない。が、その前に、英語支配により英語が権力化し、他の言語を圧迫し、世界のコミュニケーションが英語を
母語としない者には不利で不平等な状況を生み出していることを、まず認識すべきではないか。
つまり「英語帝国主義イデオロギー」に乗っかり、同調することは、国内においては、日本人を「英語漬け」にし、「英語病」という
言語的混乱と言語的主体性の喪失を生み出し、国際的には、英語を基軸とした「不平等な国際コミュニケーションの階級構造」の 再生産と維持に加担していることになる。日本は英語帝国主義とのこのような共犯関係にあることをまず自覚し、それからの脱出を、意図すべきではないか。国内の「英語病」関しては文部省、学者、マスコミ、企業が英語帝国主義への同類の主犯格といえる。小学校校への英会話教育導入案に見られるように、最近文部省は「英会話路線」を打ち出しているが、
「うちの子にも英語を」という強迫観念を多くの母親に植えつけていることを知っているのだろうか。学者の「英語病」も深刻で、私が教えている学生に、不必要に英を使う例を出させたら「大学の講義」とした者が少なからずいた。学者の「英語崇拝」は病的で、英語書かれていない論文は価値が低いという意識が広がっている。マスコミの「英語病」は冒頭にあげたほかにもあり、音楽や英語のタイトルに生の英語がつけられるのが普通になってきている。
また、企業の社名の英語化は凄(すさ)まじく英語名の会社が多数になるのは時間の問題であろう。この行き着く果てを考えると、二十一世紀には「日本」はなくなり、"JAPAN"という名の国が現れるのではないか。その方が「格好いい」と思う「英語礼賛、日本語軽視」がまさに「英語病」である。それは英語支配への従属を認めるものでありそのような意識を助長し、拡散している文部省、学者、マスコミ、企業は猛省すべきではないか。日本の「英語病」と「英語帝国主義への共犯関係を反省し、英語支配からの脱出を意図することは、世界の言語とコミュニケーションの平等化に貢献する意図がある。私に妙案はないが、糸口となる二つの提言をしたい。 まず第一の提言は、「国際言語協定」の締結である。日本政府は、国連やユネスコといった国際組織において、英語支配の問題を提起し、非英語圏の国民の利益が損なわれないような「国際言語協定」の締結に向けて努力を傾けてもらいたい。アメリカに対しては「日米言語協定」の締結により、日本語と英語の地位の平時化を目指したい。英語を政治問題にすることにより、「英語が当たり前」のイデオロギーを打破し、開放されることにより、私たちの「英語病」の症状も軽くなるのではないだろうか。 第二の提言は、「英語教育の目的の限定」である。現在、「英語=国際語イデオロギー」に煽(あお)られ、英語教育の目的が膨張している。これを「英語の基礎知識の修得」に限定すれば、中学・高校の六年間で十分であろう。
大学では、外国後中心の教育に切り替え、「日本語本位の教育」を実施すれば、欧米文化依存の改善が期待できる。私たちは今英語という「外圧」にたじろぎ、煽られ、そして自らを見失ってはいないか?英語を学び、使うことに満足するのではなく英語支配と「英語病」を生み出す世界の権力構造への問題意識を高めるべきだろう。 |
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